今回は、たまに色んな方が炎上や賞賛されている「学歴と幸せ」について思う所があり、
持論をだらだらと書いてみたいと思います。
学歴批判について思うこと
まず自分の学歴から紹介しますと、具体的な学歴は伏せますが「早慶上智」レベルの理系の学部を卒業しています。 何をもって高学歴かというかによりますが、上位10%以内?と何処かで見た情報によると一般的には上位の大学と呼ばれる大学です。
また、今回このエントリーのきっかけとなった記事がこちらです。
とくにここ、
単に学歴社会と知った上で勉強しなかったのであれば、「今の社会は間違っている」と大人になってから言うのは説得力がないと言わざるを得ません。
どうしてもすっぱい葡萄と言っているように聞こえてしまうんです。
個人的にはすごく共感します。
学歴が一般的にみて低い人が学歴社会を批判しても、
説得力がないのもありますが、なんだか…Rockじゃないんですよね。
(表現はオブラートに包みます^^;)
お金のない人が、
「お金がなくても幸せになれるからお金なんてなくても幸せになれるよね?」
と語っているようなものなのかなと思います。
学歴はないよりはあった方が良い
学歴が低くても幸せな人、経済的に成功している人はいくらでもいるし、学歴だけでその人の能力は測れないことは大前提とします。
一つ事実として言えることは、学歴と年収について相関があることは確かなようです。
また、噂レベルですが企業によっては学歴で足切りもあるみたいですね。 そんなの不公平だ!という声が聞こえてきそうですが、極めて合理的ではないかなと思うんですよね。
学生の時、周りが遊んでいる中で受験という目標に向かって勉強したという努力の結果は少なくとも一つの物差しになりますよね。
企業は大量の応募の中から、優秀な学生を見つける必要があり、その中で一つのフィルターとして学歴という物差しを使うわけです。 これって、合理的ですよね。
まぁ、こと社会に出て就職して働くという枠組みの中では学歴はないよりはあった方が良いと言えるのかなと思います。
結局、お金を稼げるかどうかは学歴なんかよりも、人徳や純粋な頭のキレ、センス、勇気のほうがよっぽど大事だったりしますが。 まとめると就活の観点から、生涯年収の期待値をあげるのに学歴はやっぱり有効かなと思います。
経済的な理由を言い訳にするのもRockじゃない
幸い自分は、事情があって最後の1年だけ返済義務のある奨学金を借りる必要がありましたが、それ以外は親に払って貰いました。(今思うと本当に感謝しています。) どちらかというと、イージーモードだった訳です。
経済的余裕がなかったから学校を選べなかった…と聞くと、結構前の橋下元知事と高校生の動画を思い出します。
橋下元知事は大人の立場から、厳しいながらも高校生に向けて正論を言っています。
もし仮に経済的に余裕がない、ハードモードの家庭であっても、成績が優秀であれば学費が免除されると言った制度はいくらでもあります。
あの、武井壮さんなんかも家庭事情によって学費が払えそうになかったため、猛勉強して学費免除にしていたとテレビで言っていました。
勉強だけで生徒を評価するなんておかしい!とか言うけどよ。学生さんだろ?学ぶ人だろ?勉強くらい評価されてみろよ。仕事も無くて国が義務教育、親が高等教育行かせてくれんだろ?勉強くらいして評価得てみろよ。勉強頑張ってスポーツも趣味も楽しめよ、いつか更に厳しい本当の競争が待ってんだから。
— 武井壮 (@sosotakei) 2016年10月22日
かっこいいですね。
気付いてからじゃ遅いからこそ教育は大切
塾講師のアルバイトを学生の頃にしていて、あまりにも全然勉強しない中学生の子に
「将来のこととか考えたことある?」
と聞いたことがあります。 確か、なんとかなるよ!的な返答だった気がします。 いや、なんとかならないから! と心の中で思いつつ、その子に全然やる気がなかったので、それ以上は踏み込みませんでした。(今頃なにしてるんでしょう…?)
自分の子供なら、もっと勉強しないパターンの人生としたパターンの人生でどういう可能性があるかを友人の実体験を元に教えてあげたいなと思います。
こと実体験からすると、昨年高校の友人の結婚式があった時に、MARCH以上を目指すコースとそれ以下のコースの何人かのグループに会いました。 聞いた話でしかないですが、後者のコースの人達の方がなんだか苦労している印象でした。(超ブラック企業に勤めてたり、ワープアだったり…) ただ、後者のコースの人達のほうが高校生時代はリア充が多かったんですよね。 どちらが良いかは価値観なのでなんとも言えませんね。
何はともあれ、一つ言えるのは絶対学び続ける人生のほうが面白いと思うんですよね。 成長し続ければ、それだけ面白い体験できますし。 そこの部分を、自分に子供ができたら教えてあげたいなと思っています。
結局は続く学歴社会
基本的には、自分が死ぬまでにこの学歴社会が大きく変わることはないと思います。 それは、上記でも述べましたが合理性の観点からです。
残酷ですが、仕組みに文句を言うなら、仕組みを変える側に回るか、あきらめて仕組みの中で成り上がる方法を考えるしかないのかなと。
おわりに
ダラダラと思うところを書きましたが、まぁ学歴なんてあってもなくても幸せになれるのは確かです。 ただ、より不幸せにならない確率を高めるには学歴は高いほうが良いのかなというのが持論です。
難しいことを考えすぎたので、次のエントリーはゆるーい感じのネタか筋トレネタにしようと思います^_^
おわり